所在地:和歌山県田辺市上秋津
交通:JR紀勢本線 紀伊田辺駅より約6km
設置の古そうな順に掲載しています。
改行、文字間の空白はそのままです。
記念碑の2面に亘って書かれており、途中一行開いている部分がその面の境となります。
明治四十五年五月鈴木喜三郎丸山源次郎中山嘉平鈴木宗右衛門中田太郎吉ノ五名川中水電合資 會社ヲ発揮シ水力電氣事業施設ニ関シ秋津川水力ノ使用及電氣事業ノ經營ヲ出願シ大正三年五 月電氣事業經營許可ヲ大正四年六月水力使用許可ヲ得タリ此間鈴木喜三郎氏ハ不幸ニ豎ノ胃ス 所トナリ永眠セラル大正五年十月組織ヲ株式會社ニ変更スベク丸山源次郎鈴木宗右衛門中山嘉 平小切間權右衛門岩間忠次岩本金兵衛谷口善松ノ七名發起人トナリ大正六年三月川中水電合資 會社ノ權利義務承繼ノ認可ヲ受ケ秋津川水電株式會社ヲ創立ス同年八月洪水ノ災禍ニ罹リ大正 六年十二月竣工ノ届出ヲ為ス水路工事ハ技師島田廣吉ノ測量設計ニ係リ宇井五郎吉之ヲ受負ヒ 関谷熊太郎終始之カ監督ノ任に當レリ電氣工事ハ欧州大戦乱ノ影響ヲ受ケ註機械ノ延為ニ因リ 約一箇年ノ遅延ヲ來シ大正七年七月漸ク竣成シタリ即チ此ニ顛末ヲ叙シ記念スト云爾 大正十年七月九日 相 談 役 加 藤 陽 三 撰 現取締役 小切間權右衛門 丸山 源次郎 鈴木宗右衛門 南 平 蔵 津本 喜 市 主任技術者 現監査役 岩本 金 兵 衛 谷口 善 松 村上與治郎 橘五郎吉刻
現代文に書き直してみました。添削大歓迎です。
明治45年5月、鈴木喜三郎、丸山源次郎、中山嘉平、鈴木宗右衛門、中田太郎吉の5名、川中水電合資会社を興し
水力発電事業施設に関して秋津川の水利使用と電気事業経営を出願し、大正3年5月電気事業経営許可を、大正4年6月水利使用許可を得た。
この間、鈴木喜三郎氏は不幸にも胃を病魔に冒され亡くなられた。
大正5年10月組織を株式会社に変更すべく、丸山源次郎、鈴木宗右衛門、中山嘉平、小切間權右衛門、岩間忠次、岩本金兵衛、谷口善松の7名が
発起人となり大正6年3月川中水電合資会社の権利義務を継承する認可を得、秋津川水電株式会社を創立した。
同年8月洪水の災害に遭い大正6年12月竣工の届けを出す。
水路工事は技師、島田廣吉の測量及び設計により、宇井五郎吉之を(工事)請負、関谷熊太郎が終始監督を務めた。
電気工事は欧州の大戦乱(第一次世界大戦)の影響を受けて注文した機械が遅れたために約1年の遅れを生じ大正7年7月、ようやく全て完成した。
ここに、このいきさつを述べて記念としておこう。
大正10年7月9日 相談役 加藤陽三 選
現取締役 小切間權右衛門、丸山源次郎、鈴木宗右衛門、南平蔵、津本喜市
現監査役 岩本金兵衛、谷口善松
主任技術者 村上與治郎
橘五郎吉 刻
同案内板には現存していた頃の発電所建屋の画像も掲載されています。
明治四十四年三月、上秋津村 丸山源次郎、鈴木喜三郎の両氏は
奇絶峡にペルトン式又はタービン式水車を設備して、精米と製粉事業を始めようとした。
そして大正元年の十二月、丸山氏他4名で川中水力電気合資会社を設立。
電気事業法の許可を申請し、大正三年許可を受けた。
その後、大正五年秋津川水電株式会社(資本金5万円)は、
その権利を継承して工事を行い、大正七年七月点灯を開始した。
出力は百六十キロワットで、上秋津、下秋津、稲成、万呂、三栖、長野、栗栖川、上芳養、高城、清川の各村に配電された。
この会社はそれから、周参見水力電気、東邦電力、関西電力などの各株式会社へと経営譲渡し、現在に至っている。
奇絶峡整備委員会
註:160kWとありますが発電機容量160kVAの事と思われます。
設置者は書かれていませんが恐らく関西電力さんによる設置かと思われます。
同案内板にはこの他に現存していた頃の発電所建屋の外観及び内部、取水堰の画像、諸元や簡単な仕組みも掲載されています。
川中口発電所は明治45年5月当時の有志により設立された「川中水電合資会社」を継承した
秋津川水力電気株式会社により建設され、大正7年7月23日に出力120kWで運転を開始した。
それ以来「周参見川水力電気株式会社」「東邦電力株式会社」「関西配電株式会社」
さらに昭和26年に「関西電力株式会社」とその所属は何度も変遷を繰り返しながらも、
変わることなく自然エネルギーを有効利用して地元の地域を照らし続けるという使命を全うした。
川中口発電所の水路は急峻な岩山地形の中を約2.4kmにも及びその中でも
岩山をくり貫いた素掘りのトンネルや水路、谷に架けた水路橋など
先人の苦労と忍耐力、工事を完遂しようとする熱意を感じさせられる。
(2007-12撮影)
発電所跡地
画像一番下の砂利の部分に発電所建屋が、画像中央の木々が無い部分に水圧鉄管が在りました。
導水路は画像右手より来ていました。
(2007-12撮影)
水圧鉄管跡上部のアップです。
画像左側1/3の辺りに水圧鉄管の支持物が残っています。
(2007-12撮影)
画像中央奥が奇絶峡の方向です。
発電所建屋の辺りから画像中央に聳(そび)え立つ水電起業記念碑を見ると取水先の奇絶峡を指し示して建てられたかのように見えます。
取水堰は景勝地のためか、物の見事に綺麗さっぱりと撤去されており正確な場所が判りませんでした。
画像右下には運開当時使用していた水車及び発電機が展示してあります。
(2007-12撮影)
水電起業記念碑
非常に立派な記念碑を見るに付け当時の電力に対する並々ならぬ情熱を伺い知る事が出来ます。
(2007-12撮影)
運開当時使用していた水車及び発電機
再塗装も行われ屋根付きの真新しい架台に据え付けられていました。
会津川水系(二級水系)
田辺湾←川中口(跡)←田辺市秋津川付近