所在地:岐阜県中津川市蛭川
交通:JR中央本線 恵那駅より約4km
本データは一般社団法人 電力土木技術協会様の許可を頂いて水力発電所データベースより転載しております。(一部は現地案内板、銘板及び事業者様パンフレット等の資料より)
本データは一般財団法人 日本ダム協会様の許可を頂いてダム便覧より転載しております。
現地紀工碑より
異体字で該当する文字が無い場合は正字に置き換えてあります。
片仮名表記を平仮名に直しています。また、改行はそのままです。
大井發電所紀工碑
大井發電所は本邦創始の高堰堤式水力發電所として当
時頗る世の視聴を聳かせしも文化の萃と人力の精とを
渇し拮据三年半遂ニ之を大成するを得たり木曽川の
奔湍断崖に激し危礁に渦き所謂恵那峡の奇勝を現し漸
く闊くして纔に迫る 岐阜縣恵那郡蛭川村字弓場と同
郡大井町字奥戸間に於本流を横断し一大堰堤を築く
堰堤容積二萬七千立坪高百八十四尺長九百十尺水深百
六十尺拾億立方尺の水を湛ふ取水口は堰堤上流二百五
十六尺右岸の山腹に在り二條の耐壓隧道は延長百七十
五間中途分れて四條となり終端四個の圓筒形減壓水槽
ニ連り直径十三尺の導水鐵管四條を以て發電所に導水
す其使用水量四千五百個有効落差百四十尺にして壹萬
八千馬力の水車四臺壹萬壹千基の發電機四臺を以て最
大四萬二千九百基の電力を發生せしむ工費約千九百五
拾貳萬圓役夫百四十六萬人大正十年七月工を起し同十
三年十一月功を竣る始め本工事を計劃するや是れ本邦
嚆矢の事業にして其成否は斯界に及す影響の甚大なる
を思ひ技師畠山好伸を米國に派し堰堤に関する施設を
精査せしめ尚ほ萬全を期せんか為め同國シーボー・スタ
ーエンドアンダートン社に指導を求め技師職長四名を
聘し之力監督に當らしめたり而して先つ準備工事とし
て大井驛奥戸間二哩七分に軌道を敷設し工事材料の蒐
集に役し別に木曽川を横断して二十五噸及六噸のケー
ブルを架し材料及機械の搬運に資し又堰堤の築造には
鐵製「トレッスル」施工の新法を開き石材の採取には「チエ
ーンバーブラスチング」大爆破法を採り其他斬新の機械と
経濟的施工方法とを以て鋭意工事の進捗を圖りたり而
かも當時にありては未曽有の大土工に属し且つ之か経
験に乏しかりしより時に行程に齟齬を来たし又山砂及
火山灰の使用に関し社外に異論を生じ工事を嗟轉せし
むるあり加之洪水屡起り既成の「トレッスル」及混凝土「ピ
ーヤ」を崩潰せる一再にして止まらず更に大正十二年九
月の関東大震災は東京方面に於ける電力需要の激減に
由り斯界の前途を顧慮し故らに工事を遷延せしむる等
工費豫算に多大の違算を来たしたるは甚だ遺憾とする
處にして殊に工事中古小路技師補以下若干の犠牲者を
出したるは最も痛恨に勝へさる所なりとす然りと雖も
従業員並に請負人の熱誠は能く萬難を排除し資金一時
の不潤も幸に「ヂロン、リード」より米資千五百萬弗を得て
難局を打開し古来實行不可能を稱せらんたる木曽川の
激流を阻止して大堰堤を築き延長三里の大潭一百八十
尺の飛瀑を現出し茲に浩蕩万項の積水は化して力とな
り熱となり光となり國家社會に貢献する此大事業を達
成したるは偏に余力朝暮に禮拝する御嶽山と観音薩捶
の加護に因るものなりとし深く感銘する所なり仍て碑
を建て存録し以て永遠に遺すと云爾
福澤桃介撰
岩崎紀博書
現代文に書き直してみました(敬称略)
一部変ですが御容赦を。添削大歓迎です。
小括弧()内は注釈、中括弧[]内は現在の単位に換算した値です。
流量の「個」について、一般的には立方尺毎秒が正しいですが、
尺貫法とポンド・ヤード法が混用されており、流量も混用されていた可能性が有るので
立方尺毎秒と立方フィート毎秒を一応併記しています。
大井発電所工事記念碑
大井発電所は国内初の高堰堤式水力発電所として当時大変に世間の注目を浴びつつも
文化の粋(技術力)と人力の精(人力)を不足したが、忙しく働くこと3年半、遂にこれを大成することが出来た。
木曽川の急流は断崖に激しくぶつかり岩の突起に渦巻き
いわゆる恵那峡の奇勝を形づくりしだいに広く流れた後ようやく(ここに)たどり着く。
岐阜県恵那郡蛭川村字弓場と同郡大井町字奥戸間に於いて本流を横断し一大堰堤を築く。
堰堤の容積27000立方坪[162284立方メートル]、
高さ184尺[55.758m]、長さ910尺[275.757m]、
水深160尺[48.485m]、10億立方尺[2780万立方メートル]の水を湛(たた)える。
取水口は堰堤上流256尺[77.577m]、右岸の山腹に在り、
2条の耐圧トンネルは延長175間[318.182m]、
途中で分かれて4条となり終端に4個の円筒形減圧水槽(サージタンク)に連なり
直径13尺[3.939m]の水圧鉄管4条により発電所に導水している。
その使用水量4500個[125.22又は127.43立方メートル毎秒]
有効落差140尺[42.424m]にして、18000馬力[13400kW]の水車4台、
11000kWの発電機4台によって最大42900kWの電力を発生させる。
工費約1952万円、延べ作業員146万人、大正10年7月に起工し同13年11月竣工する。
当初本工事を計画するにおいて国内初の事業なのでその成否は電力業界に及ぼす影響は
甚大であると思われるので技師、畠山好伸をアメリカに派遣し堰堤に関する施設を詳しく調査させ、
なお万全を期すため同国シーボー・スター&アンダーソン社に指導を求め技師職長4名を招き監督に当たらせた。
まず、準備工事として大井駅−奥戸間2.7マイル[4.35km]に
軌道(鉄道)を敷設し工事材料を現地へ集めるために用いた。
これとは別に木曽川を横断して25トン及び6トンのケーブルクレーンを渡し材料及び機械の運送に用いた。
又、堰堤の築造には鉄製の「トレッスル」(trestle:台脚)を用いた施工方法を開発し、
石材の採取には「チェンバーブラスティング」大爆破法(chamber-blasting:薬室を用いた爆破法)を用い、
その他にも最新鋭の機械と経済的な施工方法を用いて鋭意工事を進めた。
当時においては未曽有の大工事であり、工事経験も乏しいため、時に行程に無理を生じ、
又、(コンクリートの骨材である)山砂や火山灰の使用に関して社外より異論があり工事を憂慮する意見も出た。
加えて洪水がしばしば起こり既に出来ていた「トレッスル」及び
混凝土(コンクリート)の「ピーヤ」(pier:橋脚)を崩壊することも1度や2度ではなかった。
更に大正12年9月の関東大震災は東京方面の電力需要の激減の原因となり
電力業界の前途を心配し、わざわざ工事を長引かせるなど、
工事予算に多大の予算オーバーを来たすのは非常によろしくない点であり、
とりわけ工事中、古小路技師補を始め若干の犠牲者を出したのは痛恨の極みである。
しかしながら従業員ならびに請負人の熱意は数々の問題点を排除し、資金がしばらく不足したときも幸いに
「ジロン・リード」(アメリカの外債引受会社Dillon Read社)より
アメリカ資本1500万ドルを得てこの難局を打開し、
古来より実行不可能と言われてきた木曽川の激流を堰きとめ大堰堤を築き、
延長3里[11.8km]の大湛水、180尺[54.5m]の高滝を新たに創り、
ここに広々と蓄えられた水は姿を変え力となり、熱となり、光となり、
国家社会に貢献するこの大事業を達成できたのは
ひとえに朝夕に時間をみては礼拝した御嶽山と観音菩薩の加護のおかげであると
深く感銘する所であり、そういうわけでこの碑を建て記録し永遠に残すものである。
福澤桃介選
岩崎紀博書
(2005-10-25画像追加、2004-07撮影)
紀工碑正面
題字は関西電力様のウェブサイトに拠ると「普明照世間」(あまねく世間を明るく照らす)との事です。
(2005-10-25画像追加、2005-08撮影)
紀工碑横面及び裏面
裏面には大同電力社長である福澤桃介氏を始め、大井発電所及び大井ダム建設の責任者の
肖像のレリーフ(浮き彫り細工)が埋め込んであります。
横面に貼り付けてある石は新大井発電所の建設時に取水口を設けるため
切り取った堤体の一部をタイル状に加工して用いています。
結構奇麗な模様をしています。
(2005-10-25画像追加、2005-08撮影、敬称略)
クラレンス.ジロン(米国の外債引受会社ジロンリード社)
クリフトン.M.ミラー
F.M.シーボー
J.H.アンダーソン
黒岩純泰
日本土木株式会社(大成建設の前身、日本初の土木会社)
宇野組
並木組
戸田組
アリスチャルマース(米国アリスチャーマース社、現在はロドニーハント社に吸収)
ゼネラル電気会社(米国ジェネラルエレクトリック:GE、総合電気機器メーカー)
ウエスチングハウス(米国ウェスティングハウス、世界初の交流電力会社)
紀工碑裏面の銘板です。
(2005-10-25画像追加、2005-08撮影)
福澤諭吉翁レリーフ
右岸のダム天端を見渡せる場所に福澤諭吉翁のレリーフが設けてあります。
ダムウォーキング 大井ダム(YouTubeへ移動します)
(2005-10-25画像差替、2004-07撮影)
大井ダムと大井発電所、新大井発電所
画像左手の大きな建屋が大井発電所、画像中央の小さな建屋が新大井発電所です。
初の高築堤ダムとの事でしたが日本ダム協会様によると50m越えは国内2番目だそうです。
画像右外には中部電力奥戸発電所があり、手前の阿木川より取水しています。
(2005-10-25画像追加、2004-07撮影)
大井発電所、新大井発電所建屋
建屋後方に4本、柱状のコンクリート構造物があるのがサージタンクです。
(2020-03-09画像追加、2019-05撮影)
大井ダムから少し離れた高所に新しく道路及び橋が開通しており、そこから大井ダムと大井発電所、新大井発電所及び奥戸発電所を撮影しました。
フェンス越しにはなりますが迫力の眺望が得られます。
(2005-10-25画像追加、2004-07撮影)
下流の様子
画像中央に写っている橋の橋脚の高さが目立ちます。
画像右の手前の四角い建物が新大井発電所、その先の建物が大井発電所です。
画像左に写っているのは上にも書いてある中部電力奥戸発電所です。
(2005-10-25画像追加、2004-07撮影)
大井ダム直下の様子
(2005-10-25画像追加、2004-07撮影)
大井ダムを右岸より望む
とても80年選手とは思えない実にしっかりとした堤体です。
一番手前の新しいコンクリートは新大井発電所の取水口です。
(2005-10-25画像追加、2005-08撮影)
大井ダム上流側の様子
画像右端が新大井発電所の取水口です。
(2005-10-25画像追加、2005-08撮影)
新大井発電所取水口スクリーン
(2005-10-25画像追加、2004-07撮影)
上流の様子
左に写っているのが大井発電所の取水口です。
ダム湖は恵那峡と呼ばれる景勝地となっています。
(2011-10-08画像追加、2011-01撮影)
大井発電所で使用されていた水車ランナーとシャフトが、恵那峡遊覧船乗り場近くに展示されていました。