所在地:宮城県仙台市青葉区三居沢
交通:JR仙山線 国見駅より約2km
記録として残っている中では日本最初の水力発電所です。
本データは一般社団法人 電力土木技術協会様の許可を頂いて水力発電所データベースより転載しております。(一部は現地案内板、銘板及び事業者様パンフレット等の資料より)
敷地外及び見学可能な場所から見られない場合でも、絶対に立入禁止の場所へは入らないでください。
国指定登録有形文化財(建造物)
本データについては、利用規約に基づいて文化庁様、国指定文化財等データベースより転載しています。
現地案内板より
三居沢発電所
明治21年(1888)7月1日、三居沢にあった宮城紡績会社が、
紡績機用の水車を利用して東北地方で始めて電気の明かりを点した。
日本最初の水力発電の発祥であった。
以来、三居沢発電所は、仙台市電気部、東北配電株式会社などを経て、
昭和26年東北電力株式会社に継承され現在もなお最大出力1000キロワットで運転を続けている。
当地は日本の電気化学の発祥の地でもあるようで
明治35(1902)年三居沢にあった宮城紡績電灯会社の技師長
藤山常一氏が電気炉を使用してカーバイトを製造したのが
日本の電気化学の始まりであったとの記述もありました。
発電所の門に文化財登録証がありました。
登録有形文化財 第04−0025号
この建造物は貴重な国民的財産です
文化庁
東北地方最初の発電所。
本建屋は1908年(明治41年)に建てられた木造平屋建、下見板貼のほぼ正方形プランの建屋。
寄棟屋根の中央部を一段高く上げた切妻屋根と平の面の前面明り取り窓が特徴。
棟札より棟梁伊藤今朝五郎、脇棟梁伊藤利三郎が判明している。
文化財保護法の制定により、平成11年8月23日付けをもって文化財登録原簿に登録。
東北電力株式会社
(2009-05-10画像差替、2008-10撮影)
発電所建屋と水圧鉄管
出力1000kWへ増強するために明治41(1908)年に建て替えられたようですが、
明治末期ということもあり、近づく大正時代を感じさせる様式が当時の雰囲気を漂わせています。
(2009-05-10画像追加、2008-10撮影)
発電所建屋へと水圧鉄管が入る所です。
発電所建屋側に向けて太くなっていますが前口フランシス水車を使用しているためです。
奥の管路は余水吐です。
(2009-05-10画像追加、2008-10撮影)
水圧鉄管
下の最初に訪ねた時(2002年)の画像と比べると再塗装されピカピカです。
水圧鉄管(右)と余水吐管(左)を近くで撮影
風雪に耐え、塗装の色のせいもあるでしょうが、鉄らしからぬ風合を醸しだしています。
(2009-05-10画像追加、2008-10撮影)
上部水槽と昔の設備跡
案内板には「明治33年当時、ずい道出口」とありましたので画像中央のレンガ部分、下の半円部分より水圧鉄管が出ていたようです。
(2009-05-10画像追加、2008-10撮影)
放水路より発電所を望む
大都市近郊のためかあまり綺麗な水では無かったです。
(2009-05-10画像差替、2008-10撮影)
発電所右隣には三居沢電気百年館という展示施設があります。
内部には運用開始当時の発電機と同型の発電機を展示、運用中の発電所内部も窓越しに見学が出来ます。
(照明の関係でガラスの反射が凄く撮影できませんでした)
(2009-05-10画像差替、2008-10撮影)
三居沢電気百年館の脇に水力発電発祥之地の石碑がありました。
恐らく水力発電百周年記念で設けられたものと思われます。
(2009-05-10画像追加、2008-10撮影)
三居沢電気百年館内には当時の発電機と同型の物が展示してあります。
現在の東京大学工学部の前身である工部大学校の藤岡市助博士の設計により、
明治19(1886)年、三吉電機工場で製造された物だそうです。
藤岡市助博士は東芝様の前身である東京電気と芝浦製作所の内、東京電気の方を創立された方です。
藤岡市助氏が東京電気の前身、白熱電球の製造会社として設立した白熱舎の共同創業者で在られた三吉正一氏の会社がこの発電機を製作した三吉電機工場です。
藤岡市助氏が渡米した際、かのトーマス・エジソン氏に教示を受けたそうで直流発電機となったのはこの辺りに理由が有るのかも知れません。
(参考:株式会社東芝様ウェブサイト、東芝科学館様ウェブサイト)
(2009-05-10画像追加、2008-10撮影)
整流子部分です。
ブラシは位置をずらせるようにしてあり寿命を延ばす工夫がされています。
配線が随分細いですが実機を作る前に1馬力程度の出力で試作した評価機ではないかと思います。
整流子側が出力、周辺のコイル4つが界磁巻線です。
(2009-05-10画像追加、2008-10撮影)
発電機銘板
明治19(1886)年に旧東京大学と工部大学校が統合されて帝国大学となりましたので
銘板には帝国大学工学部と表記されています。
(参考:東京大学様ウェブサイト)
(2017-05-29画像追加、2016-03撮影)
(フェンス越しに撮影しています。フェンス内には入らない様にお願いします)
広瀬川の取水堰を左岸より撮影しました。
取水堰堤体は改修されて比較的新しいですが、河岸の石積みが残されています。
(2017-05-29画像追加、2016-03撮影)
(フェンス越しに撮影しています。フェンス内には入らない様にお願いします)
取水口付近の様子です。
画像中央右寄りが取水堰、画像左下へと取水しています。
(2017-05-29画像追加、2016-03撮影)
(フェンス越しに撮影しています。フェンス内には入らない様にお願いします)
取水口下流側には運開当時そのままの煉瓦積みが遺されていました。
(2017-05-29画像追加、2016-03撮影)
(フェンス越しに撮影しています。フェンス内には入らない様にお願いします)
取水口付近より導水路下流方向を望んだところです。
(2017-05-29画像追加、2016-03撮影)
導水路途中の制水門、水路を跨ぐ橋から撮影しました。
制水門の先が沈砂池です。
木製扉体の水門、年季が入っています。