所在地:富山県黒部市宇奈月温泉
交通:黒部峡谷鉄道 欅平駅そば
本データは一般社団法人 電力土木技術協会様の許可を頂いて水力発電所データベースより転載しております。(一部は現地案内板、銘板及び事業者様パンフレット等の資料より)
本データは一般財団法人 日本ダム協会様の許可を頂いてダム便覧より転載しております。(一部は現地案内板、銘板及び事業者様パンフレット等の資料より)
関西電力様パンフレット「黒部奥山をひらく」より
戦前、主として黒部川水系を開発していた日本電力による黒部川開発の最後の大工事であり
超難関であった工事用軌道の掘削の様子は小説「高熱随道」にもなっています。
発電所建屋
建屋手前の黒部川へと放流しています。奥に見えるのは新黒部川第三発電所です。
水圧鉄管の様子
建屋のすぐ上方が欅平駅です。
ここから取水先の仙人谷ダムへとトンネル(上部軌道)を掘るのですが、
勾配があまりにも急なため、立坑を掘りそこにエレベータを設け、標高差を稼いで勾配を抑える方法が採られました。
立坑エレベーターは東洋オーチス(現、日本オーチス)製で高さ200m(当時日本一)あり、
積載量5トンで軌道車両を1両づつ積むことが可能です。
上部軌道は、硫化水素の影響を受けるため架線は架設されていないので
用いられる電気機関車もバッテリーカーを使用しています。(2006-02-19 修正)
さらに、掘削時に摂氏160度を越し、発破用のダイナマイトの自然爆発事故を起こした岩盤地帯
「高熱随道」を安全に通過できるように防熱仕様の作業員用車両が用いられています。
雪害対策のため変電開閉機器も屋内に収容されています。
送電電圧は154kVだそうです。当地が猿飛峡という名前のため
猿飛線といういかにも深山といった感じの送電線名が付けられています。(2005-06-21 修正)
取水先の仙人谷ダム
堤体のコンクリート打設跡が手作り感にあふれています。
黒部川第三発電所運用開始当時は全ての水をここから取水していました。
現在は黒部川第四発電所の放流水と併せ、黒部川第三発電所、新黒部川第三発電所へと導水されています。
このダム及び導水路、その機材運搬用の軌道を作るために上部軌道を作り、高熱地帯と格闘しました。
画像右手が黒部川第三発電所方向で、ここより比較的近い所に高熱地帯が存在します。
なお、黒部川第四発電所建設の際、建設及び運用メンテナンスの一層の利便性を図るため
仙人谷ダムより黒部川第四発電所まで上部軌道は延長されています。
仙人谷と山々の様子
奥に見える山が仙人山、池平山、写ってはいませんが更にその奥に北アルプス剣岳がそびえています。
仙人谷ダム右側(左岸)より手前方向に下流の欅平まで水平歩道、
仙人谷ダム左側(右岸)より奥の方向に上流の黒部ダムまで日電歩道があります。
関西電力様が登山者の利便のために毎年整備を行っていますが、それでも晩夏〜秋しか通行できないそうです。
仙人谷ダム下部の様子
穴があちこち開いていますが、ダム建設時の仮排水トンネル、
沈砂池(なんと山を掘って造られています)の排砂トンネル及び余水吐のトンネルです。
仙人谷ダム下流の様子
岩盤の色が独特です。流紋岩あるいは石灰岩でしょうか?
この先は阿曽原温泉があります。
欅平寄りにあった志合谷宿舎が昭和13(1938)年12月27日に
泡雪崩(ほうなだれ)という爆風を伴う雪崩に巻き込まれ80名以上の死傷者を出す大惨事となりました。
こういった大惨事にもかかわらず果敢に工事は進められ、昭和14(1939)年8月、高熱地帯をついに突破したのも束の間、
阿曽原宿舎で昭和15(1940)年1月再び泡雪崩が発生、
死者28名他負傷者多数の被害を出す大惨事となりました。
しかし、ついに昭和15(1940)年6月上部軌道仙人谷〜欅平間が全通しダム、導水路工事が急ピッチで
進められ、昭和15(1940)年11月、黒部川第三発電所はようやく黒部川の水を電気に変えたのです。
関西電力様パンフレット「黒部奥山をひらく」より