所在地:山梨県西八代郡市川三郷町市川大門
交通:JR身延線芦川駅下車、徒歩20分
山梨県最初の発電所です。事業用としては日本でも3番目の古さだそうです。
本データは一般社団法人 電力土木技術協会様の許可を頂いて水力発電所データベースより転載しております。(一部は現地案内板、銘板及び事業者様パンフレット等の資料より)
現地の「山梨の電気100周年」記念碑より
芦川から始まった山梨の電力
山梨県に初めて電力を供給した芦川第一発電所は、
明治33(1900)年に運転を開始して以来、平成12(2000)年で100年を迎えました。
山梨県で初の電気事業計画は、芦川の流れを利用して発電を行い、甲府市などに電力を供給しようとするもので、
その中心となったのが秋山喜蔵氏[1864(明治元)〜1932(昭和7)]でありました。
秋山氏は、明治25(1892)年頃から発電事業の計画を練り始め、県内の河川を視察してまわっていた当時、
精進湖に滞在していたイギリス人牧師が芦川を下った時に、「この川は発電に最適だ」と
秋山氏に薦めたのが発端であったといわれています。
明治33(1900)年5月10日の、東宮様下(大正天皇)ご成婚の日には、
「市中各町とも国旗と軒灯をかけつらね、その繁華を集めたる八日町、
柳町通りはことに人手ははなはだしかりしが、夜に入ては、常磐町電力会社の花灯、最も人目をひけり」、
本社前には「奉祝」という額と、電球で形づくられた菊花のご紋章が飾られ、
まばゆいばかりの明るさでお祝いがされたそうです。
これが山梨県民の目にふれた最初の電気の光であったといわれています。
当初の点灯数は甲府が882灯、市川大門が283灯で、電灯料金は10燭灯で半夜灯50銭、終夜灯70銭でした。
ランプの油代が1ヶ月10銭であったので、庶民にはかなり高い負担だったと思われます。
建設当初の芦川第一発電所は次のとおりでした。
水車 レッフェル型 出力230馬力(約170キロワット)、落差27メートル 流量1.4トン アメリカ製
発電機 単相交流、100ボルト、105キロワット、100ヘルツ、芝浦製作所製
甲府まで約3.5里(約14キロメートル)を3000ボルトの高圧で送電するために、電柱250本が使用されました。
また、毎日の運転には「朝8時頃断水し、常用人夫3人で木製の水槽や水路の漏水個所に「ヒワダ」を詰め、
14時頃通水し、15時30分頃運転を開始し、翌朝8時頃停止」というパターンで行われたそうです。
その後、需要の伸びにより、明治34(1901)年12月に2号機(出力150キロワット)を増設するとともに、
設備改良を重ね、1世紀を経過する現在、最大出力470キロワットを発生する発電所として運転を継続しております。
明治45(1912)年7月に甲府電力株式会社が本社を構えた地は、現在の東京電力山梨支店の所在地であります。
「山梨に電力が灯って百年」を迎えるに当たり、永年にわたる地元のみなさまのご理解とご協力に深く感謝をするとともに、
明治・大正・昭和・平成の激動する100年の歴史の中で、電気事業を支えてこられました先輩諸氏の
ご労苦とご努力に敬意を表し、ここ芦川第一発電所に山梨の電力発祥の歴史を刻み、後世に継承するものです。
平成12年5月吉日 東京電力山梨支店
(記念碑の表記は縦書きで漢数字ですが、横書きで見やすくするため算用数字に変更及び西暦を併記しました)
記念碑と記念植樹がありました。
ちなみに「ヒワダ」とは檜(ヒノキ)の皮のことです。
JR甲府駅で身延線に乗り換え、芦川駅で下車し、しばらく歩き、
川沿いの道にあやうく見落としそうな入り口がありました。
発電所の右側に「山梨の電気100周年」の記念碑があります。
発電所建屋です。
下の川にあるトンネルの左側が発電所の放水口、右側が導水路の余水や水抜きの放水口です。
水圧鉄管は左が昔の1号機用、右が2号機用ですが、現在水車は1台のみです。
左側は交換したようですが、さすがにかなりの年期を感じさせるものでした。
対岸の道路の上流側から撮影した発電所建屋です。なかなか絵になります。
上流の取水設備です。