所在地:福島県喜多方市塩川町金橋道上
交通:JR磐越西線 塩川駅より約3.5km、東長原駅より約4km
本データは一般社団法人 電力土木技術協会様の許可を頂いて水力発電所データベースより転載しております。(一部は現地案内板、銘板及び事業者様パンフレット等の資料より)
現地記念碑より
実物は縦書きですが横書きにて掲載しています。
該当する文字が無い異体字は相当する文字に置き換えてあります。
改行及び空白はそのままです。敬称略
後の方に金七(八)拾万円と表記している部分が有りますが、文字を修正しておりその部分の判別が難しいため併記しています。
狐堰碑 東京電力株式会社取締役会長 菅禮之助篆額 狐堰は元相模国鎌倉の人小滝右衛門駒形村に居住三世相継ぎて地頭となり當時金川三 橋深澤田中竹屋下窪金森の七部落の者と共に用水の乏しきを憂い田中稲荷神社に祈願 し旧駒形村大字金橋字切立山下日橋川を堰止め東部山腹を堀鑿應永弐年六月朔日竣工 現在潅漑面積弐百弐拾七町四反歩用水戸数数百九拾七堰の延長八粁餘に及ぶ偶々明治四 拾五年七月拾八日喜多方水力電気株式会社が本堰を共用して発電所建設を計画農家は 電燈點火出来る喜びにて水量並に堰修理等の考慮を拂わず僅か金五百円也の一時金に て承諾契約せり其後会電会社へ合併次いで東北電化株式会社へ継承され大正六年発電 所建設されたるも不定流水にて収穫に莫大なる減収を来した其後新潟電力株式会社へ 移転されるや昭和拾四年壱月契約の更新を要求仝拾五年度より量水標以下の堰用水路 補償乃至維持費として会社存続中毎年金壱百円宛交付を受け更に本契約締結の諸経費 として打切金五百円を交付する契約をなせり其後日本発送電株式会社へ継承東京電力株式 会社へ継承された特に終戦後に於ける大変革経済界の変動に伴い堰の維持極めて困難 となり仝弐拾七年瀬大和田両堰関係者相謀り会社へ増額要請をしたる結果毎年金壱 万弐千円宛に改められ続いて仝弐拾八年右発電所改良工事に依る出力増加工事が着工 せられ之が水量協定の報酬として金七(八)拾万円を交付され尓来毎年堰堤の補強工事を施 行しつつあるも往事を追想し其努力と会社の協力とによる事蹟の大要を碑石に刻後 世に傳う 昭和参重四年五月弐拾日 別府 渡部廣智 書
(2012-11撮影)
発電所全景
建屋後方に上部水槽の制水門が見えます。
放水口は建屋右手へ出ており、狐堰用水(灌漑用水)として流れて行きます。
索道の様な送電鉄塔および送電線が珍しいです。
(2012-11撮影)
余水吐の方から上部水槽及び発電所建屋を撮影しました。
元々は灌漑用水として設けられた狐堰に発電所を設けており、その際の補償金の経緯が上で紹介している碑文に記載されています。
(2012-11撮影)
上部水槽及び周辺の様子
上部水槽の制水門と発電所建屋が近接しているのが判ります。
(2012-11撮影)
狐堰を上流より望む
画像右外を通っている道路から近くまで行こうとしましたが、路側が狭いのと往来が激しかったため、今回は上流からの撮影のみとなりました。
(2015-08-10画像追加、2014-10撮影)
狐堰の近くまで車で行ったところ、側道が在って簡単に見られました。