中部電力株式会社 井の面(井ノ面)発電所

所在地:岐阜県美濃市安毛
交通:長良川鉄道 梅山駅より約2km

特記事項

日本初の地中式水力発電所です。
地下式では東京電力須田貝発電所が日本初です。

発電所諸元

歴史(途中は抜けている可能性が有ります。?は未確認)
所有:板取川電氣株式会社(第二発電所)[運開]−不明−中部配電株式会社?−中部電力株式会社[現在]
大正 3(1914)年1月  :運用開始(水力発電所データベース)
大正10(1921)年8月  :運用開始(事業者様データ)
昭和26(1951)年5月1日:電気事業再編成令により所有者変更(中部電力)
発電の区分
種別:一般水力
発電形式(落差を得る方法):水路式
発電方式(水の利用方法):流込み式
出力
認可最大出力:300kW
  常時出力:300kW
水量
最大使用水量:4.063立方メートル毎秒
落差
有効落差:9.35m
設備
水車:立軸プロペラ水車 出力326kW×1台
発電機:立軸三相交流誘導発電機×1台
導水路:総延長1790.4m、主要導水路 幅1.60〜9.40m×高1.80〜2.50m、延長1547.6m
上部水槽:縦11.80m×横2.47〜3.25m×高1.68〜2.32m
放水路:幅2.40〜2.50m×高1.90m、延長30.0m
標高
取水位標高:76.15m
放水位標高:65.03m
面積
流域面積:313.2平方キロメートル
河川
取水:板取川[井の面ダム]
放水:板取川

本データは一般社団法人 電力土木技術協会様の許可を頂いて水力発電所データベースより転載しております。(一部は現地案内板、銘板及び事業者様パンフレット等の資料より)

ダム諸元

名称
井の面(いのも)ダム
種類
取水堰

案内板、記念碑等

現地案内板より

板取川電気株式会社
第二発電所之碑

美濃の北に河あり板取と言う。
この河は藍水(らんすい)で源泉は滾々(こんこん)、
緑樹鬱蒼(うっそう)たる広大な地域を流水しているが、雨量も豊かで天与の震沢(しんたく)である。
地元在住の武藤助右衛門氏は、卓識明敏で有見の人柄、長江に利を欲することに着目し、水力を以って世人に応ずるは必須の要求と思念す。

然し世は未だ電気事業の利点を知らず、投資を希(ねが)うも期待できず、発奮して単独工事を興(おこ)したが、
経営は日夜惨憺(さんたん)を極め、自ら工を督して衆を励まし、●々(こつこつ)相労して漸(ようや)く第一発電所の完成を見る。

その後、一年に到り社運隆昌に伴い、供給区域の拡大を計画、第二発電所の造営を画策す。然し地勢狭隘、施設の築造不能で困憊、計画至難となる。
このため社員永田技師の提案を元に、大藤・青柳両工学博士及び瑞西(スイス)人ハトマン氏の助言を得て、穿巌(さくがん)により洞内に設置することとした。

大正二年紀元節起工、督励倦(うま)ず旬月(じゅうげつ)に竣工これ本邦巌窩(がんか)発電所の嚆矢(こうし)である。
規模大ならずと雖(いえど)も世人の嘆称措かず、工費多額を要せずして補修の憂なく、奏功顕著にして良き施設である。

若夫武藤氏の功業偉績この如し、水いよいよ遠く大にして長江深し、ここに株主総会で決議しその所以(ゆえん)の碑を建てる。

大正九年三月
従六位勲六等 矢木繁四郎 撰
       永坂  周 書

補足:●は石乞

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2019-02-09所有者情報詳細追加、発電所諸元詳細追加
2012-09-19発電所名の読み修正(いのおもて→いのも)
2011-01-11初掲載(2010-02撮影)
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