所在地:京都府京都市左京区 粟田口鳥居町/南禅寺福地町
交通:京都市営地下鉄東西線 蹴上駅付近
水力発電所としては日本初の事業用発電所です。
平成28(2016)年9月12日、日本初の事業用水力発電所であり日本の産業近代化に貢献したとの事で、IEEE(IトリプルE:電気電子学会)のIEEEマイルストーン賞(電気、電子に関する歴史的偉業に対して贈られる賞)を受賞しました。
旧建屋での発電機設置状況、疏水記念館展示資料より
号機 | 製造者 | 出力 kW |
直流/交流 | 電圧 V |
周波数 Hz |
適用 | 据付 |
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1 | トムソン | 70 | 交流単相 | 1000 | 125 | 電灯 | 明治25年9月 1892-09 |
2 | エヂソン (エジソン) |
80 | 直流 | 500 | 電力 | 明治23年12月 1890-12 |
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3 | エヂソン (エジソン) |
80 | 直流 | 500 | 電力 | 明治23年12月 1890-12 |
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4 | スタンレー | 60 | 交流二相 | 2000 | 133 | 電灯・電力 | 明治27年8月 1894-08 |
5 | G.E. | 100 | 直流 | 500 | 電鉄 | 明治27年5月 1894-05 |
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6 | G.E. | 100 | 直流 | 500 | 電鉄 | 明治28年4月 1895-04 |
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7 | トムソン | 60 | 交流単相 | 2000 | 125 | 電灯 | 明治26年6月 1893-06 |
8 | G.E. | 150 | 交流三相 | 2000 | 60 | 紡績 | 明治29年12月 1896-12 |
9 | G.E. | 75 | 直流 | 500 | 電力 | 明治28年6月 1895-06 |
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10 | ジーメンス | 80 | 交流三相 | 2000 | 50 | 紡績 | 明治29年6月 1896-06 |
11 | G.E. | 100 | 直流 | 500 | 絹紡績 | 明治29年6月 1896-06 |
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12 | スタンレー | 80 | 交流二相 | 2000 | 133 | 電灯 | 明治28年4月 1895-04 |
13 | G.E. | 250 | 交流三相 | 2000 | 60 | 電灯・電力 | 明治23年6月 1890-06 |
14 | ジーメンス | 80 | 交流三相 | 2000 | 50 | 電力 | 明治28年9月 1895-09 |
15 | ウヱスチングハウス (ウェスティングハウス) |
100 | 直流 | 500 | 製氷 | 明治24年3月 1891-03 |
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16 | ジーメンス | 80 | 交流三相 | 2000 | 50 | 大津 電灯・電力 |
明治29年4月 1896-04 |
17 | G.E. | 80 | 交流三相 | 2000 | 60 | 織物 | 明治29年6月 1896-06 |
18 | ジーメンス | 80 | 交流三相 | 2000 | 50 | 煙草製造 | 明治29年12月 1896-12 |
19 | スタンレー | 80 | 交流二相 | 2000 | 133 | 電灯・電力 | 明治29年6月 1896-06 |
補足説明:表中のスタンレー社[Stanley Electric Manufacturing Company]は世界で初めて(メーカーとして)変圧器を造ったアメリカの会社です。
1903(明治36)年にGE(ジェネラルエレクトリック)社に吸収合併されております。
(余談ですが、直流を推していたエヂソン氏の会社に吸収合併されたのは何とも皮肉です)
日本のスタンレー電気株式会社様とは全く別の会社です。
(こちらは1920年創業当時より電球などの照明に関する機器の製造を行っておられます)
据付年月であって運開年月では無いのでこの表が正しいとは思うのですが、
気になった部分が2箇所程あります。あくまでも私見ですが・・・
13号機は80kW発電機2台で運用開始との情報が一般的に知られている事、
他の同社製発電機の据付年より、明治29(1896)年の可能性が有ります。
15号機は、米国のジョージ・ウェスティングハウス(George Westinghouse)氏が
世界初の交流電力会社であるウェスティングハウス社を設立したのが明治19(1886)年、
同社により世界初の交流長距離送電が行われたのが明治23(1890)年、
同じく世界初の交流10000ボルト送電が行われたのが明治24(1891)年と
交流の普及に最も注力していたと思われる頃なので据付年、製造者、直流/交流のどれかを誤っている可能性が有ります。
第二発電所建屋
柳の木の下の水圧鉄管が向こうに見える白っぽい現建屋まで延びています。
現建屋は丁度良い撮影ポイントが無く撮影できませんでした。
運開当時の建屋は現存していません。
第二発電所建屋の送電線の引き出し口
当時は需要家毎にそれぞれの発電機から送電線を引き出していたそうです。
琵琶湖疏水の発電所より下流の様子
画像右手は京都市動物園、蹴上発電所は画像のずっと左手の方にあります。
画像中央右よりの水が白く見える部分に蹴上発電所放流水が流れ込んでいます。
その手前の草の見える場所がインクライン跡です。
琵琶湖疏水は用水以外にも水運路として使用されており、
蹴上発電所で船が通れなくなることからインクラインを設けて船を渡していました。
インクラインのレールと車両が現在も比較的良好な状態で残っています。
当時19台あった水車のうちの1台(ペルトン水車)
直径2.4m、出力90kW、明治25(1892)年、石川島造船所(現、株式会社IHI)製造
疏水記念館に展示
当時19台あった水車のうちの1台が展示してありました。
水車軸と発電機は直結ではなく、水車の向こうに見える車にベルトを掛けて発電機を駆動していたそうです。
疏水記念館に展示
放水ノズル
現在のペルトン水車の様なニードルはついておらず、ノズルの上下により水流の調整を行っていたそうです。
4号機として使われていた2相交流発電機
明治27(1894)年に輸入、米スタンレー社製
2相交流、2000V、60kW、133Hz、1000回転/分
疏水記念館に展示
4号機として使われていた発電機が展示してありました。
回転子(ローター)側は鉄心のみで固定子(ステーター)側に
界磁コイルと発電コイルが設けられている変わった方式の発電機です。
実際には133と1/3Hzのため、16極の発電機となります。