所在地:福井県福井市宿布町
交通:JR越美北線(九頭竜線) 一乗谷駅より約4km
レッフェル2段式水車を使用しています。(恐らく国内に残っている唯一の水車)
福井県で最初に運用を開始した水力発電所です。
北陸では2番目です(竣工自体は富山県の大久保発電所より1ヶ月早いです)
面谷鉱山の発電所(自家用)が先に運用開始していたかも知れません。
本データは現地案内板、銘板及び事業者様パンフレット等の資料より転載しております。
現地案内板、紀工碑の他に、見学の際に頂いたパンフレットを資料としています(敬称略)
水力電気紀功碑文(訳文、パンフレットより転載)
福井県知事 正五位勲三等 坂本鈴之助 篆額
水力電気による電気が世間に大きな利益をもたらすことは言うまでもない。
そして電灯の需要が大変多い。
往年より我が福井市民は電灯をこの地に設けなければならないと望んでおり、
ここで孤高の士山田卓介君はこのことを京都電灯会社社長の大沢善助氏に相談した。
明治28年の夜、大沢善助氏はたまたま用事があって福井を通り過ぎたとき、足羽川の水流を見て、
水力発電に適しその成功を予知していた。
後に、上流の水勢を詳しく調査した結果発電所の位置を酒生村宿布に決定し、
事務局を福井市に置き高橋末太郎氏を主事に任命し、岩佐静夫氏は工事を計画した。
吉江喜一郎氏もまたこれに参画した。
明治31年の秋竣工するまえに、たまたま洪水に遭い被害を被った。翌年また水害に遭遇した。
そして皆が忙しく働きながら発電所建設に従事し水害を克服して、遂に明治32年の冬に竣工した。
この工事は日を追って盛んとなり、起工以来常に宿布や近郊に住む多くの人たちを使用した。
そして余分の水を以て田に水を濯ぎ、村落ではその恵みを被る者は思うに非常に多い。
ここにおいて、村民が互いに相談して石碑を発電所の側に建て、
発電所に携わった諸君の功を石に刻んで永遠に伝えようと思い、私(坂本知事)を訪ねて文を請われた。
その為にこれを書き、かつ、それらにかかわる銘を以下にあらわす。
足羽川の水は、電気となって燈を架けわたし、福井の地には不夜城が現れたようだ。
先人の残した恩恵は、酒生村にも及ぼした。
力を併せて作った発電所は、日に日に好調な運転を重ね稲と黍(キビ)が豊作となった。
家では仕事が無く遊んでいる人もなくなり、貧しい人も少なくなった。
この功績を石に銘して長く美名を伝えるものである。
明治39年秋9月
福井處士 富田厚積
従八位勲八等 松原一城
台座部分に発起人の記述があります。現地の紀工碑より。
発起人
古市忠太郎
栗井五郎松
古市忠三郎
吉江新左エ門
後藤若作
発電所紀工碑
紀工碑の付近まで導水路があり、ここから画像左下の、屋根が少し写っている建物の位置に在った発電所建屋へと水圧鉄管にて接続されていたようです。
画像左下には民家の倉庫があるため撮影を躊躇し結局撮影しなかったのですが、
ここに発電所建屋があったというのが帰って調べてから分かったので心残りです。
丁度この辺りに導水路が通っていたものと思われます。
紀工碑は全て漢文で記述してあります。
(2007-09-17画像追加)
今回、北陸電力様へ見学の申し込みを行い、設備を見せて頂くことが出来ました。
貴重な設備を見せて頂きましてありがとうございました。
当時の設備、1号機の水車(右側)、発電機(左後方)、励磁用発電機(左手前)です。
発電所廃止後、北陸高校様の教材として寄贈され、その後熊谷組様へと引き取られた後、
再度北陸電力様へと帰ってくるという経緯を辿っています。
北陸高校様では、あわやスクラップになる所を運命の巡り合わせか、
熊谷組様が創業50周年にあたり、縁の地を探していた折にこの水車の存在を知り
引き取りを申し出たそうで、まさに波乱万丈の生涯を送り、宿布発電所近くの当地で静かに余生を過ごしています。
(2007-09-17画像追加)
発電機と励磁機
左側が発電機、右手前が励磁用発電機です。
両機共、運用開始当時の米スタンレー社製の物では無く、後に取り替えられた奥村電機製の物です。
(2007-09-17画像追加)
水車プーリーとベルト
傷みやすいベルトも廃止時まで使用されていた約50年前の物という保存の良さです。
(2007-09-17画像追加)
水車と調速機
水車ケーシング向こう側の斜め上に向いている管路が流入側、ケーシング手前右側の下に曲がっている管路が排出側です。
(2007-09-17画像追加)
調速機のアップ
機械式の調速機です。
(2007-09-17画像追加)
流入口側より水車ケーシングの様子
安全のため、アクリル製の蓋がしてあります。
(2007-09-17画像追加)
流入口側より水車内部の様子
ガイドベーン駆動装置のギヤが曲がっています。
色と内部のざらざらした質感の為か生き物が口を開けているようにも見えます。
(2007-09-17画像追加)
水車のアップ
ガイドベーンの奥にランナーが見えます。
大発見です!普通のフランシス水車では無く、レッフェル2段式水車でした。
奥に見えるランナの右側に別の開口部が見えます。
こういう形の水車が存在していたという情報は持っていたのですが実際に目の当たりにしたのは初めてです。
国内でも残っているのはここだけではないかと思います。
電力史的に第一級の遺産であることは間違いないです。
惜しむらくは、100年以上も経っている為に各所が固着しており、ランナー自体の構造を見るのは流石に無理と思われる点でしょうか。
(2007-09-24画像追加)
上の画像のランナ部を色分けし拡大してみました。
緑色部分がフランシス水車同等のランナ構造をしています。
青い部分が2段式ランナ構造部分です。
構造から察するに最大出力時のより一層の効率の向上を狙ったものと思われます。